日天意神示-4

いかなることとなり行き、人心のまどえる中にありても、この道に芯立てたるものには寸分のぶれもなく、人心に仕え、さまよい泣く者共の、力となりなるものなり。
ましてや我が身の保身などには気を止める者無く、迷う身魂達の標べとなりゆくものなり。
今ここにして立場わきまえずば、この場この時を得るにあらず。
大勢は魂にそのこと知れども因縁の深き業と己良しの思い違いに如何とも導き難きは、先祖、産土、親神にいたるまでこの仕組になげき苦しむものなり。
此度の大経綸においては解消の手立てと云えども全てを救うことにならず。
神とてもこの立分け、後に活かし返すが誓言、誓いと立てたるがうちにおし進めむものなり。
学問に似たこれよりの筋道、筋書きに訳知り顔になりたる者、多少の経験に知り得た思いになりたる者、これよりのことには首ひねり、ここより解き説いて伝うことなし、生く道、説く筋道なればそれも良し。
この度の大建替えそれに止まるにあらず。
訳知り顔になりて行く道見失うことなからぬよう平素より鎮まりあれ。
伝え置くこと数多くあるなれどこの経綸の元の置き方、置場定めしは今日、本日、この日なり。
これよりのこと、時にこれまで程の裕余(猶予)はあらず。
手立て遅れなば幾千万の魂たちに迷惑もかかる、
それとて先走りはそれ以上、よくよくに胸に止め置きてこれよりの道、共にはたらき押し進めなむ。  

 親と子の手取りあえるは久方の 道ありたるが道のしぐみそ  
 あかなひの灯り光りたこの刻の 寿すき秋をば共と言祝ぐ

刻至り来たと伝ふ。
これよりの刻のきぎみに知らせゆくこと、時とのせめぎあい、これ神とて同じことなれば、
取りこぼすこと、いささかもなきことと頼みおく

平成12年11月

《この掲載には本文の一部省略及び伏せ字があります》

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